「シン・ゴジラ」が日本アカデミー賞 最優秀作品賞を受賞しました!
素晴らしい!
色々言いません。只々嬉しいです✨
これでまたモチベーションが上がってきました。
必ず完成させます!
- 2017/03/04(土) 23:25:57|
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1日は映画の日なので3度目の「シン・ゴジラ」
品川プリンスホテルのIMAXで鑑賞。いいですね。東京では一番デカイのではないでしょうか。新宿のIMAXよりいいです。
以下、つらつらと感想(ツイッターと被ってますが)
ネタバレ若干あるので改行してます。
<以下ネタバレと感想>
この映画は、現実世界に怪獣が現れたら?を徹底的にシミュレーションするというのが売りとなっている。そのため陳腐な人間ドラマは極力排除し事実への対応の描写のみとなっている。
冒頭はダイハード3と同じくらいのテンポで事件に入っていく。畳み掛けるセリフ・カット割り・どアップ。セリフを聞き取るのと、読ませる気のないテロップについていくのがやっとだ。そこで観客は、これはリアルな世界なんだ、国や自衛隊は本当にこうやって決めていくんだろう、と思い込む。本当は違うのかもしれない。映画的ウソも入っているはずだ。しかし、そんなことはもうどうでも良い。
観客は映画の中の現実世界の一員になる。それになり易いのは「巨大不明生物特設災害対策本部」のメンバーだろう。各部署の優秀な人間だが、変わり者という設定なのでどこか国会の者よりも人間臭く描かれている。
観客は彼らと一緒に一喜一憂出来る様、この映画は構成されていく。
リアルだと思い込んだ世界で突然上陸する蒲田の巨大生物。
本当に気持ち悪い。完全に歪で生理的嫌悪感を抱かせる様に作られている。今までのゴジラの設定は映画によって出処は違えど恐竜がベースになっていた。しかし、今回は海洋生物。我々哺乳類が意思疎通を困難とする種類である。何考えているか全くわからない目をギョロギョロさせ、エラから赤い唾液の様なものを吐き出しながら、ただひたすら這いずりまわる。
これ以降はワクワクする作戦が展開される。自衛隊出動までの経緯。変態。品川での攻防。最終形態。多摩川作戦。
そして想像通り東京を火の海にするカタストロフィー。
この描写は何度見ても鳥肌が立つ。あの口は賛否両論あると思うが、ゾッとさせるには十分な描写だ。確実に我々が見たことのないゴジラである。60年前の観客と同じ体験をさせてくれる。
そして後半。どんどん現実と非現実的のすれすれの描写が増えて行く。ゴジラが無茶苦茶やらかした後であるからしょうがない。立川の臨時政府、かの国の無茶な要求、牧教授の残したデータの解析。しかし日本人である我々にはすんなりとその状況を受け入れてしまう。現実の日本はそれに近いことを近年経験してしまっているのだ。
この映画は、物凄い破壊殺戮が展開されるが、その犠牲者の描写は最小限にとどめている。逃げる姿や避難の様子がモブシーンとしてしか登場しない。意図的に避けている。しかし本物を知っている観客は、その描写がなくても何がビルの下で起きたのか容易に想像できてしまうのだ。
そして怒涛のヤシオリ作戦。この展開が許せるのは前半にバレる嘘をつかなかったからだろう。
大嘘つきまくり・CG感出しまくりだが最高に興奮する。エメリッヒに見せてあげたい。
作戦内容も「逆襲」の雪崩作戦、84のカドミウム弾、ビオランテの権藤一佐とニヤっとすることだらけだ。しかし、作戦そのものは福一のあの出来事そのままである。このバランスが上手い。
作戦終了後、市川実日子扮する尾頭がやっと笑い、初めて避難所である体育館での一般市民の女の子たちの笑顔が映る。
ここは、毎回ぐっとくる。そしてこの映画が描きたかったことを感じ取ることが出来る。
それは、1954年の「戦後9年戦争の悲惨さをもう思い出せ・人類への戒め」ではなく「自分で起こした過ちをどう克服するか立て直すか・どうやって前に進むか」というポジティブなテーマであるということだ。
前向きな気持ちでいる中、映し出されるモニュメントと化したゴジラの姿。共存しないといけないという現実。そして、尾の先端の彼等のゾッとする姿。終始何らかの答えを出し続けてきた映画が最後に出す曖昧な描写。
それこそもう一つのテーマでありメッセージであろう。
やはり牧教授は第一形態に飲み込まれたのか?一体化したのか?人間のDNAが入っているから、手が生え直立姿勢になったのでは?牧教授についてのレポートで考察した後の尾の先端の顎の様なモノが外れる描写の意味は?尾が本体なのでは?だから尾による破壊描写がなかったのでは?と牧教授について考察していけば何か見えてくるかもしれない。
「踊る大捜査線」が生まれてから刑事ものの考え方・一般人の知識が飛躍的に上げられ、その後の刑事ものが大きく変わった。
「シン・ゴジラ」も怪獣映画としてのラインを一気に押し上げるエポックメイキング的作品になったと考えられる様、これからの怪獣映画は心してかからなければならない。大変だー。
- 2016/08/02(火) 03:20:38|
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「シン・ゴジラ」を観てきました(写真は予告の画像ですのでネタバレではないです)
自分は「ゴジラ」というキャラクターは大好きなのですが映画として見た場合、胸を張ってどうだ!面白いやろ!と言えるのは1954年の一作目「ゴジラ」と1962年の「キングコング対ゴジラ」のみでした(勿論個人的に好きなゴジラ映画は他にも沢山ありますが)
ですから、幼い頃ゴジラを見ていると親や祖母に「またゴジラね」とよく揶揄され、子供向け子供だましに作られた映画に反論出来ず非常に悔しい思いをしていました。
見とれ!必ず大人の鑑賞に耐えうる一作目に匹敵するゴジラ映画が生まれるし、生んでやる!と思いが「特撮スタッフになりたい」という少年の夢を映画そのものを産み出す「監督」になりたいという夢にシフトさせていったのです。
そして今回、やっと大人の鑑賞に耐えうる「ゴジラ」映画が誕生しました。
アニメ監督の庵野さんが撮られる、ということで実写映画で役者さんに芝居をつけて演出出来るのか・・・という疑念が少なくとも僕の中にはありました。単純に楽しみ、とかではなく現場上がりの「出来んのかよ」というよくない嫉妬みたいな感情でしょうか・・・。「ちゃんとドラマが描けんのかよ」という・・・。
結果。
今回の「ゴジラ」は、陳腐な人間ドラマを完全に排除し、徹底的に「巨大不明生物への対処」を政府レベルで描くポリティカル・サスペンスになっており、ドライな演出が淡々と続きます。そして、ドラマを排除したはずが、最後には登場人物へ感情移入出来る状態になっている。ドラマを描かずいつの間にかドラマが生まれる。
困難に立ち向かう人間とそれを達成した後の感動・一体感。完全にプロジェクトX。
これと同じ感動を味わったのは、最近でいうと「マッドマックス」でしょうか。
昨今の邦画やドラマは「人間ドラマを描く」という目的が脚本構成レベルで一人歩きしてしまっている印象を感じていました。人間の感情の起伏だけが先行し、そこに至るロジックが疎かになっていないか?と。
そして、それは撮影現場で露呈します。役者が監督に「これおかしくないですか?」と質問。それで解決すれば良いのですが、物語の根底に触れる部分だと致命的で、結局無理矢理納得し撮り進めることになる。その先に人の心を揺さぶる作品は生まれにくい。
今回は、まずは感情表現は置いといて、行動原理とロジックだけで押し進めていく。一見、所謂人間ドラマからは程遠い描写になるのですが、人物の行動やセリフが理にかなっているので、見る側は少ない登場頻度でも各々の人物に入り込んでしまう。そして、目の前に現れる「虚構」をすんなりと受け入れる様になる。
こういう大人の映画を観たかったのです。思っていることを大声で叫んだりしなくても、人はセリフの奥にある意味を読み解けるのです。
一番ドラマが充実していた「マッドマックス」で感じていた方法論をまさか「ゴジラ」でやられるとは思っていませんでした。あっぱれです。
願わくは、圧倒的に足りていないであろうCGの作業時間・・・ブルーレイの時にはレンダリングし直して差し替えてくれないでしょうか・・・。切に願います。
- 2016/07/30(土) 04:44:06|
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11月に助監督として参加したNHK新春SPドラマ「富士ファミリー」HPに予告などが上がっております。
http://www.nhk.or.jp/dsp/fujifamily/ 助監督だけではなくこのドラマのオープニング・タイトルのイラストも描いていますので、是非宜しくお願い致します。
このイラストは確認中のもので、これをアニメーション加工して使われる予定です。
HPのPR動画内でも使われています。
※題字は私ではなく福島の高校生が書いたものです。
- 2015/12/29(火) 23:54:55|
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